2026年8月15日。
もうひとつの終戦記念日となりました。
35年も戦い続けた男が、今日、新日本プロレスのリングを去っていきました。
天山広吉
1971年3月23日に京都で生まれた、183cm、115kgの山本広吉さん。
1991年1月11日に19歳でデビューし、新日本プロレス一筋の35年でした。
IWGPヘビー級、IWGPタッグ、G1クライマックス、G1タッグリーグなどの輝かしい実績が光ります。
1993年のヤングライオン杯で優勝し、ヨーロッパへ修行に行きました。
遠征前は戦が細く、必死に食らいついているという印象でしたが、1995年に凱旋帰国をしたときには、ひと回り大きくなった身体で、新たな姿を見せてくれました。
リングネームを天山広吉として、戦っていく姿に、同世代として、心を躍らせたのを覚えています。
天山選手と聞くと、蝶野選手との蝶天タッグ、小島選手とのテンコジタッグが強く印象に残っています。
若手だった天山選手を蝶野選手がリードしていく感じで、日に日に成長していく気配を感じていたあのころ。
同世代としてしのぎを削っていた小島選手とともに頂点を目指して駆け上がっていったあのころ。
どっちの天山選手も、とっても好きでした。
辞める…
同世代としては、30代、40代、50代のカラダの変化はよくわかります。
しかし、アスリートでもないし、ましてや激しい体のぶつかり合いなんて経験したこともありません。
長年酷使してきた身体が悲鳴をあげ、ケガもしやすくなってきたり、蓄積してきた疲労も限界を超えていたのは、もうずっと前から感じていました。
でも、小島選手のように、バリバリ鍛え続けて、戦い続けている同世代もいるので、できないもどかしさもあったのかもしれません。
おなじく第三世代でくくられていた永田選手も、まだ戦い続けています。
しかし、いつかはみんな、辞めるときがくるのです。
それは、アスリートだけではなく、一般企業で会社員として働く我々も同じ。
同じにするのは失礼かもしれないけど、でも長年、戦ってきた舞台から退くというのは、気持ち的には同じかも。
ただ、それを自分で決められることができるというのは、幸せな人生ではないかと思ったりします。
「まだ働きたい」
「まだ稼がなければならない」
「まだ燃え尽きていない」
続ける理由はいっぱいあります。
続けたいのか、続けざるを得ないのか、その事情も人それぞれ。
ただ、選択できるかどうかというのは、違ってくるのかと。
天山選手は、まだまだやりたかったのかもしれませんが、引退試合を少しだけ拝見したところ、もう身体が限界を超えていたように見えました。
身体が動く、小島選手や永田選手がうらやましかったかもしれません。
第二の人生
ここまで選手として35年間、第一線で活躍してきた天山選手。
ここからは、裏方に回るのか、タレントになるのか、よくわかりませんが、新日本プロレスに所属したまま、第二の人生が始まるようです。
引退後のプロレスラーって、本当に有名な人は、タレントのような仕事もあるだろうし、現役時代に稼いで蓄えたものもあるだろうし、老後も安泰なのかもしれません。
しかし、あまり有名になれなかった選手たちは、厳しい老後が待っているのでしょうか。
現役時代のネームバリューやネットワークを使って生きていける人はいいですが、そういう人ばかりではないでしょう。
アスリートも会社員も、舞台は違えど、第二の人生をどう迎えるのは、同じなのかもしれません。
バリバリ働きながらも、第二の人生を見据えて準備をするというのは、有名無名に関わらず、必要なことなのでしょう。
宵越しの金を持たないことがカッコイイみたいな時代は、もう終わっています。
そういうスターがいて、憧れだった時代は、もう過去です。
今は、スターもしっかり第二の人生を考えているはずです。
アスリートの引退は早く、プロ野球選手の同世代は、とっくに引退して、有名だった人は監督とかになっていたりします。
そうじゃなかった人たちが何をしているのかは、正直わかりません。
でも、彼らの第二の人生は、我々一般の会社員よりも長いのは事実です。
そういう面で、やはり会社員は恵まれていたかもしれません。
という時代だったのですね。
なんか、同世代の天山選手の引退のことを書こうと思っていたら、かなり脱線してしまいました。
これからも引退した彼が、我々の前に元気な姿を見せ続けてくれることを期待しています。
まずは、ゆっくり休んで、身体を整えてください。
お疲れさまでした。
たのしい時間をありがとうございました。

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