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先月28日プロレスラーの西村修さんが亡くなりました。
享年53歳。
長い間、ガンと戦い続け、最後まで生きたいという思いと生きているということを証明してくれた人でした。
夭逝(ようせい)
共通点
西村さんは、1971年9月23日生まれの53歳でした。
1991年4月21日に沖縄で飯塚孝之選手を相手にデビュー戦を戦っています。
そのころは細くって、大丈夫?って思うくらいだったような印象があります。
2011年6月に16歳年下の奥様とご結婚され、今年の4月に小学校に入学されるお子さんがいらっしゃるそうです。
年齢や、結婚した時期、年の離れた妻との結婚、幼い子供を持つなど、共通点が多く、親近感を勝手に抱いていました。
ガンに侵され、闘病しながらもリングに立つ姿は、心を打たれるものがありました。
と同時に、若い奥様や、幼いお子さんのためにも無理をしてほしくないという気持ちもあったりして。
でも、彼は戦い続けるとことを選んで、最後まで戦っていました。
今回の入院で、かなり大変な思いをされていたようですが、快方にむかい、退院も決まっていたとのこと。
それは、今月行われるお子さんの卒園式と、来月の入学式に出席したいという本人の希望もあったそうです。
それから、家族で旅行に行くのが好きなようで、お子さんと熱海に行く約束をしていたのだとか。
退院が決まり、楽しみなことがたくさんあって嬉しかったんじゃないでしょうか。
しかし、どれも果たせぬまま、西村さんは逝ってしまいました。
お子さんは、「もうパパと旅行に行けないの?」って泣いていたそうです。
限りある命
40歳目前に結婚し、お子さんが授かるまで数年かかってやっとパパとなった西村さんのプロレスラーとしての気持ちはわかりませんが、親としての気持ちはわかるような気がします。
いろいろな経験をして40歳となり、そこでの結婚、親になるというのは、若くしてのそれとはかなり異なるかと。
特に最近思うことは、何よりも子供を優先したいという気持ちが自然と強いこと。
もし若かったら、自分がやりたいこととかを「ガマン」して子供のことを考えていたのではないかと。
今は、自分のやりたいことが、子供ありきなので、何もガマンすることがありません。
子供といたいのに、ガマンして仕事に行くということは、残念ながらあります。
せっかく学校が休みなのに、出勤しなければならないとか、苦痛以外の何物でもありません。
ましてや、子供たちも、まだ「パパといたい」と言ってくれたりしています。
西村さんの場合は、プロレスが好きだったと思うし、プロレスを通じて、生き様をみせたいというのもあったのかもしれません。
そこは、全然違うところかと。
プロレスも好きだし、家族のことも愛していた。
だから、両方一生懸命頑張り、最後まで生きてきたのかと。
ガンであることを知り、余命がそれほど長くないことも知っていたけど、まだプロレスを頑張った。
それは素敵なことだし、そこまで力を注げるものがあるのは羨ましいことなのかもしれない。
これからのこと
最近、同年代の有名人が、亡くなることが多いです。
そういう年齢になってきたのかもしれませんが、世間的にはまだ「早い」と言われる年齢です。
当然、まだまだ亡くなることなんて考えられませんが、それがいつ来るのかは、知る由もありません。
何のために生きているのか。
何がしたいのか。
今は、子供たちのために生きています。
そして、子供たちと毎日楽しく笑いながら過ごしていきたいです。
卒業シーズンです。
こどもたちも、ずっとパパ、パパって言ってくれる訳ではないのは、十分わかっています。
だから、今しかできないことを最優先したい。
もう、時間の無駄遣いをしたくない。
聞いてっていただき、ありがとうございました。
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