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ママの祖母が97歳で旅立ちました。
少し前から呼吸が苦しいと訴えるようになり、病院で見てもらったところ、全体的に機能が低下している傾向があると言われました。
それでも、曾孫に会うと元気な笑顔を見せてくれたのは、本当に最近のこと。
突然の別れになってしまいました。
別れ
曾祖母
小学校の高学年の頃に、母方の曾祖母が亡くなりました。
学校を休んで、母の実家まで家族で行ったことと、いつもの母の実家の様子が違ったことは、なんとなく覚えています。
イチバン印象に残っているのは、行きか帰りの車の中で柏原芳恵の「春なのに」という曲がラジオで流れていたこと。
「春なのにお別れですか」という歌詞が、とっても強く心に残っています。
何歳だったのかは、覚えていないのですが、母の祖母なので、結構なおばあちゃんだったという記憶はあります。
年に1回夏休みに会うだけだったのですが、身内が亡くなるっていう初めての経験でした。
母方の祖母
小学校時代に曾祖母との別れを経験して以来、かなりの年月、身内との別れはありませんでした。
母方の祖母は、とてもやさしい、ときに厳しい、「強い人」だったような印象があります。
社会人になってから、たまたま友達と遊んだ帰りに母の実家によって祖母と1時間くらい会って話をしてきたことがありました。
それから間もない頃に、祖母が倒れたと連絡が入りました。
病院に行くと意識不明の重体ということでしたが、面会はさせてもらえました。
手を握って呼びかけると、握り返してくれたのをよく覚えています。
危険な状態を脱した祖母は、そのまま入院となりましたが、相変わらず意識が戻らない状態が続いていました。
月に1回くらいのペースで、母の実家まで何回か母とふたりで行ったことを思い出します。
病室に行くたびに、反応があったり、呼びかけに応えたりしてくれた様子を見て、医者は信じられないと言った雰囲気だったのを覚えています。
そんな感じで何回か会えたあと、祖母は旅立ちました。
社会人4年目のゴールデンウィークが終わった後だったかと思います。
X JAPANのhideが亡くなったタイミングと近かったような記憶が。
母の実家について、祖母が寝ている姿を見て、顔を触って冷たかったときに現実を知らされたような感じになってそのまましばらく動けなかった。
火葬場で祖母と別れた後にフラフラとなっていた母を支えて歩いたことが、イチバン印象に残っています。
叔母
2004年は忘れることができない1年です。
叔母は、ガンを患い、入退院を繰り返していましたが、2003年末は、病院から出ることができずにお正月を迎えました。
それまでは、毎年のように実家に集まり、紅白を見て、年越しそばを食べて、お正月になってみんなでお節料理をいただくというのが当たり前でした。
でも、2003年には、祖母と叔母がいない年末となりました。
しかもそんなタイミングで、妹は臨月に入っています。
叔母は2004年になると、非常に弱々しくなっているように見えました。
見た目もそうですが、発言からも覇気が消えていました。
それでも妹の出産が近いということは、楽しみにしてくれているようで、早く会いたいと言っていたものです。
しかし、その願いが叶うことなく、1月下旬の寒い朝早くに、叔母は旅立ちました。
そしてその日の午後、妹は出産しました。
わずか数時間の差ですが、甥と叔母のふたりは同じ時間を味わうことができなかった。
叔母は、ずっと近くにいて、ずっとお姉さんのような存在で、わが兄弟のことを溺愛してくれていました。
そう感じることができたのは、自分に甥ができたとき。
妹の子である甥は、自分のこどものように愛おしい。
きっと、叔母もこんな気持ちで自分たちに接してくれていたんだと。
だから、兄弟はみんな叔母が大好きで、「おねえ」と呼んでいました。
甥や姪がカワイイっていう気持ちを語り合いたかった。
告別式の後の親族で集まる食事のときに、なぜか挨拶をするよう父から指名がありました。
突然のことで驚きましたが、おねえへの感謝の気持ちを素直に話していたら、みんなからとても感動したって言われたことを思い出します。
あのとき生まれた赤ん坊も、もうすっかり成人です。
お彼岸、お盆には、きちんとお墓参りにも来ているから、叔母も知ってると思うけど。
父方の祖母
それから2ヶ月もたたない、同じ年の3月に、娘の後を追うように祖母も旅立ちました。
この数年前から痴呆が酷くなり、施設に入っていました。
会いに行っても誰だかわからないみたいで悲しかったけど、元気そうなので安心はしていました。
そんな状態なので、叔母が亡くなったことも知らない(わからない)と思うのですが、親子の縁というのか、なんなのか。
叔母が亡くなった日に、甥が誕生したり、そのすぐ後に祖母が亡くなったりと、激動の数ヶ月でした。
祖父
生まれてきたときには父方にも母方にも祖父がいなかったので、結婚して初めて祖父ができました。
といっても、変な話なのですが、初めてママの家族に会ったのが、ママの父方の祖父のお葬式でした。
お付き合いさせてもらっていることは、既にご存じだったタイミングで、ママの祖父が亡くなったので、急遽初対面ということに。
初めましてのご挨拶を告別式の会場のご霊前で行うと言う、なんとも変な感じになってしまいました。
そして、入籍を済ませてしばらくたったタイミングで、ママの母方の祖父が亡くなりました。
亡くなる直前に病院にお見舞いに行ったときに、ママの父に間違われて怒られたという、それくらいしか会った印象がありません。
告別式でママの親族に初めてお会いしたのですが、いとこがみんな若くて、一番下の子が中学生だったのが衝撃的でした。
祖母
久しぶりにできた祖母は、とてもしっかりされている方という印象でした。
初めてお会いしたのが80代後半だったと思うのですが、会話もしっかり成り立つし、とっても元気。
よくランチに行ったり、桜を見に行ったりと一緒にお出かけもさせてもらっていました。
最近では、娘が「ひいばあ」が大好きで、ママの実家に来ると、朝食は「ひいばあ」の家にばあちゃんと一緒に行って食べてくるというのが日常でした。
そんな元気だった祖母と、97歳と9ヶ月で、突然、お別れすることになりました。
100歳までは余裕だね、なんて笑っていたのがつい最近のこと。
亡くなってから告別式の間まで少し時間があくというので、会いに来ました。
既に棺の中で、キレイにしてもらって安らかに眠る祖母。
在りし日の元気な姿とほとんど変わらない様子で、本当に眠っているようです。
祖母は、孫が7人、曾孫も7人、それもみな結構近くに住んでいるので、比較的多く会っていたようです。
それはそれで、とても幸せだったのかな、なんて想像してみたりします。
何回あっても、いくつになっても、やはり別れはさみしいものです。
それでも、みんな、思い出に変えて、心の中にずっと生きているのだなと、今回改めて気づきました。
聞いてっていただき、ありがとうございました。
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