ここに寄ってっていただき、ありがとうございます。
たまたま入ったお店で、小学校の卒業式終わりと思われる親子のグループを見かけました。
シチュエーション的には、謝恩会を終えた仲良し3人娘とその母親たちみたいな雰囲気。
このママたちも、いろんなことを褒めたり、認めたりしてきたのかなぁ。
褒めるのは簡単だけど、認めるのは難しいのだとか。
そんな話を思い出したりしました。
卒業式
小学校の卒業
こども3人のテーブルが隣だったのですが、とても仲よさそうで、楽しそうにパンケーキを食べている様子が伝わってきました。
この子たちは、中学生になることを喜んでいるのかな。
それとも、もっと小学生でいたかったのかな。
私たちの地域では、というか時代には、中学生になる=頭を丸めるという儀式がありました。
いわゆる「校則」です。
坊主頭になるのイヤだったなぁ。
だから、あの頃はまだ小学生でいたかった。
毎日楽しかったし、友達と離れてしまうのも寂しかった。
娘は来年の幼稚園を卒園するとき、どんなことを感じるのだろう。
認める育児
最近、褒める育児についてのお話を聞きました。
褒めてばかりいると自己肯定感が下がったり、意欲が一定レベルで止まってしまったりといった弊害があります。
褒めることで「褒められること」が目的となり、それ以上がなくなってしまうというのです。
また「褒められる」という他人の価値基準に合わせることになるため、自尊心とか自己肯定感が低くなってしまいます。
それではどうするのかというと、認めるのです。
『あなたは頑張ったね』ではなくて、『私はあなたが頑張ったのを見てすごいと思ったよ』といったように『you』ではなく『I』で伝えるのだそうです。
これを「アイ メッセージ」と言います。
結果だけを見て褒めるのではなく、過程を認めるといったことも大事だとか。
また、自己責任の範囲をしっかり決めてあげて、自分で決められるようにして、自分が決めたことというのを理解できるようにするというのもありました。
例えば、『今日半袖でいい?』と聞かれたら、『今日は昨日より暑いみたい。昨日長袖だったけど、暑かったか考えて自分で決めてごらん』というように、「自分で決める」ことが重要になるそうです。
これをしないと「〇〇していい?」という疑問形で、許可を求めることになってしまいます。
その結果、失敗に終わった場合に『だって、○○していいっていったじゃん』といった形の返答をすることになり、自分の責任として考えられなくなるのです。
忙しい朝にはとても面倒な返答です。
『半袖でいいんじゃない』って答えたほうが楽です。
そこが難しいところです。
結果的に半袖で寒かったら、「半袖と決めたけど寒かった」と自分の考えに対する結論になります。
「パパが昨日より暑いって言ったじゃん」ってなったら、決めたのは自分だよって答えます。
じゃあ、パパの言うこと信じないってなるかもしれないけど、そのときはまた別の方法を見つける手助けをして、自分で判断できる材料を増やしてあげるのだそうです。
あくまでも責任は自分であるという意識をもつようになることが大事だということです。
最初から『半袖でいいよ』と返事をしていたら、『だって、パパが半袖でいいっていったじゃん。』となってしまい、パパの責任だからこうなったとなります。
そして、いつまで経っても「自分の責任」というものを理解できないようになってしまうのだそうです。
まずは自ら
こういった、「褒める」「認める」のお話や、「自己責任」のお話を聞いて、自分の今までを振り返ると、恥ずかしくなってしまいます。
今日から少しでも「認める」ことと「自分で決める」ことを、促せるように頑張りたいと思います。
これらの行為が、思春期での父と娘の関係とどうつながるのかは、現時点ではよくわかりません。
うまくいけば、自己肯定感が高く、意欲のある子になって、パパのこともそんなに嫌いにならないで居続けてくれるかもしれません。
好きでいるのか、嫌いになるのかも「自己責任」で決められるかもしれません。
周りの友達がパパの悪口を言うようになっても、自分の判断で、パパのことを見ることができるようになるかも。
そのために自分自身もしっかりしないといけないと思いました。
娘に好かれるパパを演じるのではなくて、しっかりと自分自身の考えで毎日歩いて行かないといけないかと。
きっと背中を見てるのでしょう。
恥ずかしい背中にならないように、パパも頑張っているところを見せて、娘からも「認めて」もらう必要があるのかもしれません。
お互いに、「褒め合う」よりも「認め合う」ほうが難しいですが、理想的なような気もします。
聞いてっていただき、ありがとうございました。
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