こちらに寄ってっていただき、ありがとうございます。
伯父が亡くなりました。
今年に入ってから胃ガンが見つかったそうで、あっという間に逝ってしまいました。
会いたかったけど、会えなかったのは、仕方がなかったのかなって思います。
逝去
伯父
母の兄が、2023年9月3日に亡くなりました。
83歳でした。
小さい頃から、ホントにかわいがってもらいました。
大人になってからも、何度も遊びに行ったし、一緒に山梨に行ったり、富士山に行ったり。
たくさんの美味しいお魚も食べさせてもらいました。
そして、いろんな話を聞いてもらった。
結婚式で、スピーチをお願いしたら、嫌な顔せずに、引き受けてくれました。
父よりも、たくさんいろんな話をしたし、一緒にも遊んでもらいました。
今年になってから、体調に異変を感じ、調べたらもう末期だったとのこと。
でも、その辺の経緯は、全く伯父の息子兄弟以外には、伝えられませんでした。
伯父の強い意志があったとのことです。
こちらから夏休みに会いたいって連絡したときに、伯母から「もう少し待ってほしい」と本人が言っていると言われたけど、あまりよい状態ではなかったみたい。
でも、絶対に治ると信じていたみたい。
だから、治ったら前のように遊びに行けるというのがあったので、少し待ってだったのかと。
もちろん、もっと話もしたかったし、成長した娘にも、息子にも会ってほしかった。
でも、今となっては、もうどうにもなりません。
正直なところ、会うのを断られたときに、覚悟みたいなものは、できていました。
だから、亡くなったと聞いたときにも、あまり驚きはなかった。
けど、83歳って、まだ若いです。
実際に、若々しかったし、活動的だった。
早すぎる旅立ちだと思います。
悲しいっていう感情は、あとからジワジワ来るのかな。
お通夜
伯父は家具職人でした。
実家の収納棚とかも作ってもらったし、作ってもらったイスもあったりします。
うちも家を建てたら、何かお願いしたいとは思っていたのですが、叶わぬ夢となってしまいました。
お通夜は、涙雨の降りしきるなか、しめやかに行われました。
伯父の交友関係の広さからか、ホールのクローズの時間まで、弔問客が途切れることはありませんでした。
通夜の席が終わり、やっと対面できました。
ホントに別人。
これじゃ、会いたくないっていうのもわかります。
だからこそ、会いたい気持ちを抑えて正解だったのかと。
伯父が気持ちよく旅立てるには、それがイチバンだったかな。
痩せ細っている伯父の顔にも、柔らかな笑みも感じられます。
今回は、パパが代表して来ましたが、今度は家族で訪問します。
もうそこに出迎えてくれる動いた姿はないですが、写真の中で、笑って迎えてくれるはず。
久しぶりの再会
こういう席は、思いのほか長い間会えなかった親戚との、再会をもたらしてくれます。
従兄弟の息子、娘たちが、立派に成長していました。
それこそ、小学生のときに遊んであげていた子が、成人を過ぎて独り立ちしています。
こんな再開の場面も伯父が敷いてくれたレールの上を、ただ歩いていただけ。
十数年ぶりに聞く、パパの呼び名は、懐かしくもあり、恥ずかしくもあり。
そんな従兄弟の息子とは、LINE交換までしています。
夕食
お通夜が終わり、みんなでご飯を食べようということに。
1度ホテルに戻って、9時半集合ということになりました。
ちょっと遅い時間ですが、久しぶりに会えた親戚なので、積もる話もあるかと。
案の定、生ビールを珍しく3杯も飲んで、楽しく過ごしました。
従兄弟の長男は、もう働き始めて7年にもなるそうで、立派な社会人。
そんな彼らが、この楽しい夕食をご馳走してくれました。
ホテル
今回は、パパ、妹、姪の3人で新幹線を利用してやってきました。
ホテルは駅から徒歩3分のところで、15時半頃には到着しました。
パパの弟は車で来てくれたので、我々の足になってくれました。
ホテルは1,100円で車を置いてくれるそうですが、近くのコインパーキングの方が安いですと。
そこに車を止めて、ホテルに戻ります。
コンビニに寄ろうと思っていたのに、すっかり忘れる一同。
なんかデザート食べたかったけど、仕方ない。
諦めて、順番に風呂に入って寝ました。
今回のホテルは、じゃらんで見つけたスペシャルウィークの激安な部屋。
ちょっと豪華なツインルームに、パパの弟、妹に姪を加えた4人で泊まりました。
パパは姪からの指定でエキストラベッドを使うことになりましたが、オーシャンビュー、富士山ビューの素敵な窓の下で、気持ちよく朝を迎えました。
窓を開けると、前日は姿を見せてくれなかった富士山が、しっかりとあるべきところにありました。
二日酔いもなく、爽やかな目覚めにも、まだ早いと二度寝をしたら、8時。
ちょうどみんなも起きて活動が始まりました。
朝食は、ビュッフェ形式。
どうしても食べ過ぎるアレです。
今回ヤバかったのは、グラノーラ。
グラノーラが、当然なのですが、食べ放題でおいてあります。
とりあえず、ヨーグルトと牛乳て1杯ずついただきましたが、おいしかった。
カルビーって文字が書いてあったので、間違いない味です。
最後にホットコーヒーを部屋に持ち帰り、朝食会場をあとにしました。
日本平夢テラス
ホテルをチェックアウトして、駐車場代400円を支払い、コインパーキングを出ました。
目指すは、朝食会議で決まった日本平の展望台。
そこでおみやげを買ったら、ちょうど告別式になるだろうという計算の元、やってきました。
山を登る途中からも、富士山がキレイな姿を見せてくれます。
運転がないので、今回はゆっくり景色を楽しむこともできます。
そして目的地の日本平夢テラスという名の展望台に付きました。
とてもキレイに整備された施設で、まだ新しいみたい。
調べてみると2018年11月のオープンだそうで、前回みんなで来た2017年の夏には無かった施設。
この日は暑くもなく、気持ちよく富士山や、その周りの景色を楽しむことができました。
そしておみやげを買って、告別式会場へ。
入っていくと、既にみんな着席していて始まる寸前でした。
告別式
最後のお別れになります。
お焼香をあげ、読経が終わると、出棺となります。
お経を聞く間、いろんなことを思い出しました。
それには、いつも笑っている伯父がいました。
食べることが好きで、おいしいものがあると、食べに行こうと言う。
パパが結婚する前は、母と伯父と伯母の4人でそばを食べたり、中華を食べたり。
甲府の夜景を見ながら温泉に入ったり、一緒にマッサージをしてもらったり。
富士山の5合目付近を歩いたときには、イチバン軽快に動いていて、母を連れて息を切らしながらついていったことも思い出します。
時間が経つのは早いもので、もう棺のフタが開けられ、花を手向ける準備に入っています。
従兄弟が千羽鶴を持っていたので聞いたら、最初の入院のときに家族で折ったとのこと。
彼らが祈りを込めて折った鶴は、とても尊いもののように思えました。
たくさんの花や手紙や鶴に競輪新聞、マークカードと鉛筆も一緒に棺に収められます。
競輪に行ったこともあったなぁって、また思い出しました。
ホントにホントに、たくさんの愛をもらった気がします。
自分に甥ができて、とても可愛くて仕方ない存在であることを客観的にみると、伯父からしたら、かわいい甥でいたのだったとしたら、最高です。
そんなことを思いながら、本当の最後のお別れのときを迎えました。
伯母が伯父に、こんなにたくさんの人に見送られて、あなた幸せだねって語りかけていました。
みんなで懐石弁当
伯父の家に戻ってきました。
近所にある従兄弟の家にお邪魔して、着替えさせてもらいました。
久しぶりの伯父の家は、何も変わってない感じ。
会葬のお礼として振る舞われた懐石弁当をみんなで食べようと伯母が誘ってくれました。
他愛もない話をしながらも、ここにいるべき人がいない不自然さを感じずにはいられません。
いつも話をしていると、仕事場から帰ってくる伯父の姿がありました。
この日もみんなで話していると、いつものように伯父が来るような気がしてなりませんでした。
でも、当然のこととして、伯父は来ないまま、お開きとなりました。
母
母にとって、兄(伯父)は大好きな存在です。
兄はというより、兄夫婦はといったほうが良さそう。
兄夫婦と話している母が、イチバン自然な母の姿なんだと気づいたのはいつ頃だったたか。
心からくつろいで、心を許していたのは、この場所だったと、今でも思います。
そんな場所に、今回は母を連れてくることができませんでした。
今回は、ではないですが。
母は、もう大好きな兄夫婦のことも覚えていないし、兄が亡くなったこともわからないかと。
特に知らせようとは思いません。
でも、今度母に会うときには、静岡に行って伯父たちに会ってきたよって言うつもり。
伯父からは、母のことを頼むなって言われていました。
結果的にその約束も果たせず、母を守り切ることができませんでした。
だから、そういう面では、伯父からは怒られても仕方ないと思っていました。
でも、伯父は責めることはしませんでした。
最後のお別れのときに、謝りました。
母をここに連れて来れなくてごめんなさいと。
聞いてっていただき、ありがとうございました。
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