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事故を広辞苑で調べると、思いがけず起こった悪い出来事、支障と定義しています。
思いがけず起こるので、事前の対処がとても難しいのかと。
どうにかして、事故が発生する確率を下げる努力をしたいと強く思う次第です。
事故
予期せぬ出来事
こどもと過ごしていると、思いがけない行動を取ったりすることがあります。
いっしょに過ごしているだけでも思いがけないことをするので、見ていないときには何をしでかすのかは想像できません。
しかし、小学校に通うようになったら、四六時中、見守り続けることは不可能です。
一緒にいない時間をどうすごせるようになるのか、友達からの誘いをどの程度受け入れ、どの程度拒否することができるのか。
子が親離れをするのと同じで、親も子離れをする必要があります。
でも、安心して子離れできるようになる日がくるとは、実際に親になると考えられないものです。
話し合い
パパと娘で会話は非常に多いと思います。
ふざけあっていることも多いし、パパの昔話を楽しそうに聞いていることも多いし、まじめに学校の話をすることもあります。
それは、お風呂だったり、お布団の中だったり、移動中の車の中だったり。
いろんなことを話していくと、まだまだ子供だなぁって思うよりも、もうこんな考え方ができるようになったのかって感心することの方が多い。
とっても甘えんぼな娘だけど、とてもしっかりしているところもたくさんあると思います。
だから、逆に、信頼して任せてしまうこともあったりして、たまに、まだ早かったかなって思ったりして。
取り返しのつく失敗や間違いは、たくさんしてもいい、むしろしてほしいくらいです。
そこから学ぶことが多いと言うのは、いろんな経験をしてきたからわかることです。
そんなパパだって、まだ失敗もするし、間違いもします。
でも、取り返しのつかないことになるかどうかという判断基準は、しっかりと持てているように思えます。
それが、大人と子供の違いなのかと。
おもしろそうだけど、これ以上やったら、とんでもないことになるかも、という線引きが、経験が足りなければできないのは当たり前。
だから、そこに大人が必要になってきます。
こどもたちだけで行動するのは、こどもたちは楽しいに違いないです。
でも、正しい判断や線引きができる人がいないと、事故が起こる可能性が高まってしまいます。
ウザがられようが、煙たがられようが、ここは譲れないというところを、しっかりと示していくことも、大人の大事な役目かと。
最大の親不孝
親より先にいなくなることが最大の親不孝であると言われています。
自分が子供でしかなかったときには、なんとなくわかっていたこの言葉も、親になると本当によくわかる。
子供を失うことほど、つらいことは、この世の中にはないのではないかと思います。
だから、自分の脚で歩けるようになるまでは、しっかりと守りたいと思うし、歩けるようになるための術を身に着けさせたいと考えます。
過保護なのか、過剰保育なのか、線引きは難しいところですが、それぞれの家庭でそれぞれの接し方があるかと思います。
我が家では、基本、自由奔放にしていますが、言うべき時は言う、ダメなものはダメというスタンスはあります。
幸い、会話が多いので、これからは今回のような事故に対しても、どう思うか、どうしたらいいかという話をしていこうと思っています。
本当にツライ事故です。
どうか、このようなツライ事故を経験する人がひとりでも減るといいなと、心から思います。
聞いてっていただき、ありがとうございました。
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