新紙幣の1万円札の顔になる渋沢栄一生誕の地を訪れる

子育てのこと
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こちらに寄ってっていただき、ありがとうございます。

先日の家族旅行で通過した場所に「渋沢栄一生誕の地」というのがありました。

車中で、娘に、「あと半月くらいでお金が新しくなるんだよ」って言ったら、「知ってる」と。

学校でそういう話もしてくれているのでしょうか。

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20年ぶり

新紙幣

1万円札、5千円札、千円札の新紙幣が発行されるのが、2024年7月3日となります。

単にデザインが変更されるだけでなく、偽造防止のためにさまざまな技術が新たに施されています。

肖像のすき入れの周りに細かい模様の透かしが入る「高精細すき入れ」や、描かれている顔が見る角度によって動く「3Dホログラム」など、偽造防止技術が追加されているのが最新の紙幣の特徴です。

その顔となる人物について少し調べてみました。

ちなみに、サイズはそれぞれ、現行流通紙幣と同じです。

渋沢栄一(1万円札)1840-1931  裏面:東京駅

新1万円札
新1万円札

「近代日本経済の父」と称される渋沢栄一は、1840年、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の深谷市血洗島)の農家に生まれました。

1863年、幕府の階級制度や一連の外交施策に不満を募らせ、尊王攘夷思想の影響を受け、高崎城乗っ取り・横浜外国人商館焼き討ちを目論見ました。

幕府から逃げるように故郷を出たあとは、一橋家に仕え、財政改善に手腕を発揮し、次第にその力を認められていきました。

やがて、徳川慶喜の弟・昭武の欧州視察の随行員に抜擢されて渡欧すると、先進的な技術や産業を見聞し、近代的な社会制度を知り、その後の人生に大きな影響を与えました。

欧州から帰国したあとは、慶喜のいる静岡で、商法会所をつくって地域振興に取り組んでいましたが、明治政府に招かれ、新しい国づくりに関わりました。

その中の一つに、世界遺産となっている富岡製糸場の設立があります。

1873年に官僚を辞めた後は、第一国立銀行(みずほ銀行)の総監役(のちに頭取)となり、民間人として経済による近代的な国づくりを目指しました。

銀行を拠点に企業の創設・育成に力を入れて、生涯に約500もの企業に関わり、約600の社会公共事業・教育機関の支援や民間外交に尽力しました。

儲けのみを求めるのではなく、世のため人のために働いて儲ける、つまり公共の利益を追求することで、皆が幸せになり、ひいては国が豊かになると考え、実践し、多くの人に惜しまれながら1931年11月11日、91歳の生涯を閉じました。

津田梅子(5千円札)1864-1929  裏面:フジ(藤)

新5千円札
新5千円札

「近代的な女子高等教育に尽力した」津田梅子は、1864年に現在の東京都新宿区南町にて誕生しました。

父親は幕臣だった津田仙で、彼もまた蘭学を学び日本の近代化に影響を与えた人物です。

津田仙は北海道開拓使の嘱託になり、開拓次官であった黒田清隆が計画した女子留学生の企画に娘である津田梅子を応募します。

その結果、津田梅子は岩倉具視を全権大使とする「岩倉使節団」の一員となり、アメリカに留学しました。この時、渡米した女子留学生はわずか5名で、津田梅子は最年少の6歳でした。

ワシントン近郊にあるジョージタウンに暮らす夫婦のもとでホームステイをしながら、高度な教育を受けました。

1882年には日本に帰国することになりますが、幼少期よりアメリカで育った津田梅子は、大きなカルチャーショックを受けたといいます。

帰国後は、アメリカで得た知識をもとに華族女学校で英語を教えていました。

しかし、自立した女性を育成したい気持ちが強くなり、再度アメリカへ留学し3年間生物学を学びます。

その後、日本に戻った津田梅子は、1900年にのちの津田塾大学となる女子英学塾を設立しました。

女子英学塾は、彼女の志に賛同したアメリカの仲間たちからの寄付や協力を得て実現しました。

1900年の開校当初は、10名ほどの小さな学校でしたが、それまで培った地位を手放し、ほぼ無給で教育にあたります。

女性の個性を重んじており少人数教育のメリットを説くほか、学校設備よりも教師の熱心な心と学生の研究心を重視し、物事を俯瞰的に捉えられる「完き婦人即ちall-round women」の育成を目指しました。

女子英学塾は、これまでの日本にはなかった考え方を取り入れた学校であり、瞬く間に多くの学生が入学するようになります。

1904年には専門学校として認められ、その後も女性の地位向上や個性を大切にした教育に尽力し続けました。

その後、病に臥して、1929年に64歳で亡くなります。

女子英学塾は彼女の想いを受け継ぎ、1933年に津田英学塾として生まれ変わりました。

「男性と協力して対等に力を発揮できる、自立した女性の育成」を目指した彼女の精神は、現在の津田塾大学にも受け継がれ、日本社会にも大きな影響を与えています。

北里柴三郎(千円札)1853-1931  裏面:富嶽三十六景(神奈川沖浪裏)葛飾北斎

新千円札
新千円札

「日本近代医学の父」、「日本の細菌学の父」として知られる北里柴三郎は、1853年1月29日に熊本県阿蘇郡小国町北里村の庄屋、北里惟信の長男として生まれました。

1871年に熊本医学校に学び、さらに東京医学校(現東京大学医学部)に進み、卒業後、内務省衛生局に勤務しました。

このとき、国の留学生として結核菌の発見者であるドイツのローベルト・コッホに師事しました。

ここで貴重な研究業績を次々に発表、とりわけ1889年には破傷風菌の純粋培養法の確立し、1890年に、血清療法の発見という前人未踏のもので、世界の医学界にその名をとどろかせました。

帰国後、福沢諭吉などの援助により、伝染病研究所を設立、わが国の近代医学に大きな足跡をとどめました。

1914年には、自力で北里研究所を創設、1931年に死去するまで、終生わが国の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に貢献しました。

今までの歴史

今回は、1万円札が経済、5千円札が女性高等教育、千円札が医学とそれぞれの分野で、同じ年代を生き抜いた偉人が選ばれています。

せっかくなので、過去を振り返ってみたいと思います。

1万円札

現行1万円札

表面 福沢諭吉

裏面 鳳凰像(平等院鳳凰堂)

発行日 2004年(平成16年)11月1日

現在流通中

2台目諭吉さん。先代よりも馴染みがあるかな。

前の一万円札
前の一万円札

表面 福沢諭吉

裏面 きじ

発行日 1984年(昭和59年)11月1日

支払停止日 2007(平成19年)4月2日

初代諭吉さん。諭吉さんがオサイフにいると嬉しかったのを思い出します。

その前の一万円札
その前の一万円札

表面 聖徳太子

裏面 彩紋

発行日 1958年(昭和33年)12月1日

支払停止日 1986年(昭和61年)1月4日

まだ自力で手に入れることができなかった時代です。

めったにお目にかかれなかったという印象。

5千円札

現行五千円札
現行五千円札

表面 樋口一葉

裏面 燕子花図(尾形光琳作)

発行日 2004年(平成16年)11月1日

現在流通中

オサイフの中には、いても1人。複数存在することが珍しいというのが5千円札。

前の五千円札

表面 新渡戸稲造

裏面 富士山

発行日 1984年(昭和59年)11月1日

支払停止日 2007年(平成19年)4月2日

あまり印象に残っていません。5千円札の宿命かも。

その前の五千円札
その前の五千円札

表面 聖徳太子

裏面 日本銀行

発行日 1957年(昭和32年)10月1日

支払停止日 1986年(昭和61年)1月4日

なつかしい!聖徳太子は遠い存在でした。

2千円札

現行二千円札
現行二千円札

表面 首里城

裏面 源氏物語・紫式部

発行日 2000年(平成12年)7月19日

現在流通中(あまり見かけないけど…)

年に1度見るか見ないかの稀有な存在。新券とかで手に入れると、保管したくなるほどのレア感。

千円札

現行千円札
現行千円札

表面 野口英世

裏面 富士山・桜

発行日 2004年(平成16年)11月1日

現在流通中

英世さんは、いつも同じ向きに並べ替えるので、よく見ている印象。

前の千円札
前の千円札

表面 夏目漱石

裏面 鶴

発行日 1984年(昭和59年)11月1日

支払停止日 2007年(平成19年)4月2日

漱石さんの時代もあったのね。どちらかというと印象が薄い。

その前の千円札
その前の千円札

表面 伊藤博文

裏面 日本銀行

発行日 1963年(昭和38年)11月1日

支払停止日 1986年(昭和61年)4月1日

初めて手にした千円札なので、印象深いです。新券状態でどこかに保管していた気がするけど…。

500円札

今では当たり前のように硬貨を使用していますが、紙幣の時代もありました。

懐かしの五百円札
懐かしの五百円札

表面 岩倉具視

裏面 富士山

発行日 1969年(昭和44年)11月1日

支払停止日 1994年(平成6年)4月1日

500円玉ができたときは、衝撃でしたが、お札がいなくなるというのも寂しい感じでした。

ちなみに、500円玉が発行されたのは、1982年4月1日です。

思惑

今回の紙幣一新の表向きな主な目的は、偽造防止の強化です。

肖像のすき入れの周りに細かい模様の透かしが入る「高精細すき入れ」、描かれている顔が見る角度によって動く「3Dホログラム」など、偽造防止技術が追加されているのが最新の紙幣の特徴です。

ところで、現在のタンス預金は、2024年7月3日以降は全紙幣が旧札になってしまいます。

タンス預金のお金が旧紙幣になったとしても、急いで新紙幣に交換するために銀行にお金を持ち込む必要はありません。

新紙幣が発行されたとしても、旧札の法的効力が失われるわけではないため、店舗での支払いなど問題なく利用できます。

現行の野口英世よりも古い夏目漱石が描かれている千円札や、さらに古い聖徳太子が描かれた一万円札でも額面のまま使用できます。

ただし、年月が経過すると店舗での支払いには使えても、いずれ自動販売機やATM等で読み込みができなくなる可能性があります。

旧紙幣をタンス預金している場合、少しずつ新紙幣に変えていくことが必要になるでしょう。

200万円を超えるタンス預金を新紙幣に変える場合、「犯罪による収益の移転防止に関する法律(犯罪収益移転防止法)」にもとづいた調査がされる可能性に注意が必要です。

多額の現金を持ち込むことで銀行が犯罪を疑った場合、犯罪収益移転防止法にもとづいて国に届け出る可能性があります。

一般社団法人全国銀行協会によれば、犯罪収益移転防止法について「200万円を超える現金の受け払いをする際は、氏名、住居、生年月日などを確認する」としています。

一部では、タンス預金の旧紙幣を新紙幣にすることにより、マイナンバーを用いた銀行口座情報との連携から、資産状況を把握しやすくすることが目的などとも言われています。

将来的に、噂されている金融所得課税なんてものができた際には、うまく使われてしまうのかもしれません。

さて、実際に新紙幣を見るのは、いつ頃になるのでしょうか。

聞いてっていただき、ありがとうございました。

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