こちらに寄ってっていただき、ありがとうございます。
大地震。怖いです。すごく長い時間揺れていました。
テレビを観ていたであろう妻が慌てて寝室に入ってきました。
布団のとなりで愛娘はスヤスヤ。「我関せず」とばかりに眠っていました。
我が家でも緊急事態に備えて、避難用持ち出しリュックがあります。
しかし、押入れの奥のほうにあるので、緊急時には持ち出せません。
すぐ見直ししなければなりません。
備えあれば…
あの日…
思い起こすと11年前。
職場でちょっと早い3時休憩をしていた時のこと。
突然の大地震に、大の大人3人が、血相を変えて外へ逃げ出したのを覚えています。
幸い、出口に近いところにいたので、速やかに外へ行くことができました。
そして、周辺で倒れてきそうなものがない場所へ移動し、電柱が倒れそうとか、向かいのショーウインドーが割れそうとか、口々に危険になりそうなことを言って、注意しあっていたのを思い出します。
安否確認
揺れが収まった後は、家族の安否確認をしました。
幸い電話が繋がったので、実家の無事が確認できたこと、まだ妻ではなかった大事な人もなんとか無事だと確認できたことなどを覚えています。
お仕事…帰宅
そのあとは業務が立て込みました。
製造現場の状況確認から生産再開見込みの確認、原材料の過不足や期限管理の再確認、調達可否など、気が付くと夜の8時近くになっていました。
車での帰宅でしたが、家の周辺は停電になっており、信号も消えていました。
アパートに帰ると真っ暗で、電気がつく気配もありません。
実家に連絡すると電気がついているそうで、そちらに向かうことにしました。
2度と走ることのできない高速道路開通前のマラソン大会
週末はマラソン大会に出場予定だったのが、中止になってしまったのも思い出しました。
確か、高速道路を走るマラソンで、開通前に1度しか走れないという謳い文句でしたが、結局1度も走れなかったことになりました。
そんなことをあの震災から11年と1週間になろうとする今、昨日のことのように記憶がよみがえってきました。
揺れていたのは夢のなか?
今回は、半分夢の中だったので、朝起きてきてから、テレビをつけて夢でなかったことを確認したくらいでした。
「天災は忘れたころにやってくる」といいますが、忘れる間もなく、次々といろんなことが起こるので、災害時に必要なものを準備するようにしたいものです。
ただ、きちんとすぐに使えるように用意をしないといけないなと改めて思い直しました。
そんなわけで、家の避難セットを確認して、通行の妨げにならないような出口の近くに移動してきました。
そして、水も含めて中身の再確認と、緊急時の対応についても、きちんと家族で話をして、共有しておこうと思います。
うちの非常用水は、株主優待で届く500mlのペットボトルと水素水です。
期限近くになるまで消費しないで取っておいてます。
水素水は娘がたまに飲んでますが。
聞いてっていただき、ありがとうございました。
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